取りやすいところから取る

たばこ税1本5円上げ固まる 1箱300円から400円に


 政府・与党は21日深夜、平成22年度税制改正の焦点となっているたばこ税について、1本当たり5円程度引き上げる方向が固めた。現在1箱300円の主力銘柄が400円に値上げされる見通し。


 鳩山由紀夫首相は同日夜、たばこ税について、「増税があるべきだ」との考えを改めて表明した。


 増税幅をめぐっては政府が1本当たり3円を主張したのに対し、与党の社民党国民新党は1本5円を主張したが、その後の調整で最終的に1本5円で折り合った。政府は22日に税制改正大綱を閣議決定する。

「取りやすいところから取る」基本ですかね
健康とか何とか大層なこと言ってるけど、本質的にはそーいうことなのだろうと。
予防医学的措置だっけ?自己責任とかどこへ行った。余計なお世話だ。人の健康心配するなら、健康よりも年金を心配してくれ。


ネットとかでコメント見てると喫煙者に対する風当たりの強いこと強いこと。吸わない人から見れば喫煙は愚かしい行為に映るのだろうと思うし、迷惑に感じてる人もいるであろうコトは容易に想像がつくのですが、喫煙者嫌悪の感情のまま「いいぞ、もっとやれ。値上げしろ」ってのは違和感を通り越して嫌悪感を感じます。偽善的だなって。


受動喫煙云々を言うならそれは分煙化とかマナーの問題だし、タバコ吸った後の臭いとかがイヤとか言うなら「お前の香水とかコロンの臭いイヤ」と同レベルの話だと思う。予防医学的見地というなら他にも害になるものはある。予防医学的見地で酒の値段を上げるとか塩の値段上げるとか、肉とかだって該当するだろう。


私が禁煙家だから反対に向かう傾向が強いことは否定しようもない事実だけど、今回の増税案は論理的に公平性を欠いているように思えて納得できない。
論理的公平性とかそーいうのを無視して情感の赴くままに反対だ!!とか言ってると、結局、論理的非公平性によって自分の権利が侵害されたとき、誰も見向きもしないというのは歴史的によくあることなんだけどね。某有名掲示板でも散見する詩

ナチ党が共産主義を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった。
ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった。
ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。
ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した―しかし、それは遅すぎた。

『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』マルティン・ニーメラー

に通じる部分はあるんですけどね。まぁ、そーいうことには無関心なんだろうと思う。
ちなみに、ナチスは反タバコ政策を強行してたんだけどね。


まぁ、ぼやいてみました