生命力


当だいありタイトルの 「哀は愛よりいでて愛よりも愛しい」 という文言が、某所でいたずらさんのネタになっていました。
たぶん偶然だとは思いますが、目に留まったのかも知れないし・・・。
私はいたずら氏のネタのファンですので、ネタ元になったなら光栄の至り。偶然であっても、同じコトを思いついた感性の同一性に乾杯。です。


でまぁせっかくなのでネタを・・・(大嘘)


「わたあめ」 見ました。とんでもなく遅ればせながら。
大人っぽくなったねぇ・・・。というのが第一印象ですね。UP to BOYも見ました。第一印象は同じでした。
いかようにでも変わるお年頃なので、変わってゆくことは当然驚きません。
大人びた雰囲気が新境地を開拓したことも事実でしょう。


でも、なんて言うのか、やっぱりもったいなくてね。
これは高橋の写真集だけに感じるコトではないのですが、みんないつかはどうしようもなく大人になってしまうわけですよ。子供でいられる時間、まして、思春期を過ごせる時間というのは決して長い時間じゃない。
「いつまでも子供のままで・・・」 というわけではありませんが、そんなに急いで大人びていかなくても・・・と思います。
逆説的に言えば、無邪気そうな瞳の中に、大人びた視線がごく自然な形で含まれていることに、また一歩大人に近づいたんだねぇ・・・と感じるわけです。それは喜ぶべきコトなんですけどね。なんか、もったいない。

たまに私は思うんですよ。
写真集ってだいたい男性カメラマンでしょ。スタッフには女性も含まれていますけどね。たまには女性カメラマンが撮影してくれないかなぁ・・・。
どこがどう違ってくるかは分からないけど、男性の感性と女性の感性は違うと思うし、多感な年頃の、複雑な心情とか姿とかって、男性よりも、同じ経験をしている女性の方が巧く切り取れるんじゃないのかなぁ・・・と。
女性カメラマンならもっと繊細な写真が撮れるような気がするし、そういう写真集を見て見たいなぁ・・・と思いました。男性カメラマンはそこら辺の機微を切り取るのが難しいのかなぁ・・・。そんなこともないと思いますが、どうも、どちらか一方に比重を置いた、偏った感じがするんですよね。
一冊丸ごと見て、大人びた部分も、子供っぽい無邪気な部分も両方感じられて、「この写真集いいじゃん」 じゃなくて、大人と子供が同居している不安定さも見て見たいなぁ。という気持ちです。

「わたあめ」 固有の感想としては、例えば自分がカメラマンならば、こんな目をされた瞬間に、オレならシャッターは切れないなぁ。という写真が多かったです。
カメラマンとかじゃなくて、フツーの友達とか知己だったとして、あんな瞳をされたら、ちょっと辛いよね。という写真も多くありました。
素直な真っ直ぐな、ほんと、誤魔化しのない表情だねぇ。
写真の芸術性とか、アイドルの写真集のスタンスとかスタンダードは全然知りませんが、良い表情してます。

超個人的な印象を言えば、「祈り」 とか 「生と死」 とか 「生の葛藤」 とか、逆説的な方向から生命力を描いている印象が残りました。子供達が持っているエネルギッシュな生命力、生命感じゃなくて、もっと内に籠もった、内なる生命力みたいな感じです。生命感の表現性に幅ができて高まった感じです。
子供は無邪気に野を駆け山を登り、疲れたら眠ればいい。そして起きたらまた力一杯遊べばいい。
それが子供のエネルギッシュな生命力だと思う。しかし、大人は迷い、考え、悩み、祈る。子供ほど無邪気で単純ではいられない。迷い、悩み、考え、祈るのは、生者が明日を紡ぎ出す生命力の現れと思えば、それは、生を放棄した者の空虚ではなく、どんなことがあっても生き抜こうとする生者の持つ、内なる生命力だと思う。
影を強調することで、生命力の光を際立たせた印象と言ったらいいのかなぁ。うまく表現できているかは自身ありませんけどね。
例えばクッション?かな・・・に顎をのせておでこに手を当てて目を瞑るのとか、オフィーリアを感じさせる、花びらが浮かぶ水面に浮かんでいる写真とか、あとは、幾つかの瞳とか・・・。オフィーリアだよなぁ。意識してるよなぁ。絶対
たんばぱ的には、そういう写真が印象深いですかね。