涙が出てきた。

もうも、たんばぱなのです。
もうずっと書いてなかったけど、無性に書きたくなったので書きたいと思う。


とりあえず、政治的にいかなる意見を持っていようとも、可能な限りの努力をしてこの動画を見ていただきたいと思います。
10分程度ある動画なので、多少時間を取られてしまうけど。



以下、散歩道さんの該当記事より、この動画の概要説明を引用します。
# 感情が高ぶっていて、散歩道さんの説明以上に美味く書く自信がないから。

靖国・反天皇を叫ぶ反天連(反天皇制運動連絡会)などの団体が8月15日、約100 人を引き連れ九段周辺をデモ行進した。
それに反対する保守団体と一般市民がこれらを迎え撃ち、抗議の声を浴びせた。その数約 400人。公安は機動隊数百人を動員しこれを食い止めようとするが排除するに至らず、 保守勢力が終始圧倒した。


初めに 「政治的にいかなる意見を持っていようとも、可能な限りの努力をしてこの動画を見ていただきたいと思います」 と断りを入れたのには少し理由があります。


靖国を巡る論争には様々な角度から様々な意見があり、論争があることを私は知っています。そして私は、客観的に第三者の判断を仰いだとき、どちらかと言えば保守の側に近い考えを持っているであろうとことを自覚しています。だから可能な限りの努力をして客観的であろうとしてこの記事を書いているのですが、そのこともご了承ください。


私かこの動画に感動したのは、保守団体の方々が、反靖国・反天皇を叫ぶ方々を追い返したからではありません。
これは私の勝手な解釈ではありますが、保守団体の方々が怒ったのは政治的な、思想的なイデオロギーの対立ゆえではなく、より単純な理由として 「自分たちにとって大切な場所、大切な日を、ただ、ただ、大事にしたかった」 からではないかと感じからです。
彼らの怒りが、あくまでも 「帰れ」 コールに終始したのも、「自らの暴力によって、自らの大切な日と、大切な場所を汚したくない」 という思いが自制心として働いていたのかも知れません。そうした自制心も個人的には感じました。
そうした勝手な解釈の上に成り立つ 「保守団体の方々の怒り」 に私はただただ感動して、精神的にひれ伏すしかありませんでした。


政治的に、思想的に、心情的に、双方の主張の優劣や正誤を判断することは私にはできません。ただ一つ、「意見や思想が異なるからといって、自らの正義を信じているからといって、(違う意見を持っている) 他の誰かにとって大切な場所や、大切な日を台無しにすることは許されるのだろうか?」 と感じました。「自らの意見はとりあえずおいておいて、異なる意見の人の思想や信条を多少思いやることはできないものか」 と感じました (それは、互いに鏡なのかも知れませんが・・・)。


「自分の政治的な権利を主張するならば、他者の権利も尊重しろ」 とか 「互いの、互いに対する思いやりがあればどーのこーの」 とかいう綺麗事を言うつもりは皆無です。
そうした主張は無意味だと思っています。


保守団体の方々の怒りを見ると、私にできることは、政治的・思想的な対立以前に感じられる純粋な怒りに感動して、ただ、屈服するのみです。
それは、思想的・政治的な見解への同意・不同意には関係なく、純粋な怒りという生の感情に対する感動であり、屈服です。



私はたぶん、こんな純粋な怒りを一生かかっても感じることはできないかも知れない。
純粋な怒りの正誤や、適切・不適切さえ判断できないし、「純粋な怒りを持てることが偉いのか」 と問われれば答えに窮するでしょうけど・・・。