脅迫者たち?


まずは http://www.asahi.com/national/update/0420/003.htmlを読んでみよう。非常に朝日らしい記事だなぁ・・・と。朝日のような論調を取る人間に対して、パウエル長官の発言はまさに100万の味方を得たかのような発言であっただろう。
自己責任論が噴出する中、同じ自己責任論でも微妙なところでニアンスは異なる。 強行派とも言うべき人間は、政府が避難勧告をするようなところへは行くべきではない。渡航帰省を強化すべきだ。とか、そういった地域で生命財産が脅かされても政府は免罪される。という見解をとる。
穏健派とも言うべき人間は、政府が避難勧告を出すような地域であっても、本人がそのリスクを承知して行くのであれば、それは本人の自由であるし、その自由は尊重されるべきである。しかし、そういった自分たちのリスクを心得ていなかったり、自分たちの無知を棚に上げて政府の対応や国策に対してああだこうだ言うのはおかしい。自分たちの 「認識の甘さ」 という責任をまず自覚せよ。と言っている。

朝日は、同じ自己責任論であっても一色単にこれらを扱い、言葉を弄び意見を誘導、洗脳しようとする。尊敬なんてしてやらないがさすがは朝日の面目躍如。いい感じの腐りぶりだ。

しかし、朝日は気づいていないかも知れないが、墓穴を掘った印象も拭えない。人質3人が一貫して叫んでいた自衛隊撤退や政府批判の数々を突然口にしなくなったのは何故なのか。朝日は "口輪" という便利なおもちゃを手に入れて、そのおもちゃを弄びながら、批判の矛先をやんわりと政府に向けようとしているが、何故そうなったのか。


私は思う。ああいった独善的な人間の口を封じるにはそれなりのカードが必要で、そのカードを手に入れた政府は何らかの取引を行ったのであろうと。
そのカードとはなにか?http://www.sankei.co.jp/news/morning/21iti001.htm を読んでいただきたい。

前々からいわれている自作自演論だが、ここに来て自作自演論の調子がいい。
これは推測に過ぎないのだが、政府は恐らく、自作自演の決定的な証拠を掴んでいるのだろう。そしてそれを公表しない代わりに政府批判の口を封じる。単純な取引だがあり得ない話ではない。

これと言った証拠は今のところ明らかになっていないので何とも言えないが、もし仮に、3人が自作自演であったならば、朝日がコラムにおいて主張している*1*2 なども、彼らがいかに人道主義に基づいたボランティアであったとしても、自らの生命が取引材料であるかのように見せかけて (自作自演して)、国策に対してああせえこうせえと主張するのであれば、そんなもんは醜悪な脅迫行為に過ぎない。
日本国民への脅迫、冒涜と言っても言い過ぎることはない。民主主義は心情思想の自由とそれを表現する言論の自由を保障している。しかし、それらの諸権利を乱用して脅迫行為に及ぶのならば、社会的制裁を課してしかるべきであり、政府が真実を隠そうとするのであれば、これは国民の知る権利を阻害する、民主主義への重大な背信行為であることを明記しなければならない。


真実は未だ闇の中であるが、人質解放以後、コトの成り行きの不自然さにこの国のいい加減さを激しく感じる。(http://www.sanspo.com/shakai/top/sha200404/sha2004041801.html この記事が4/18。それ以後こうした話題は収束方向) 人質が無事解放されて良かったなどと浮かれている場合ではないだろうに・・・。
まぁ、今のところどのような意見も断言するには至ってないのですが・・・。


そんなだらしない政府、国民、マスコミの間で泳ぐUFAは、「熱っちい地球〜」 の環境保護の関係上、小池環境相を表敬訪問した。
どうせ政治的な色合いを持ったことをやるのならば、「HELP! だらしない日本を正すんだ」 とか 「HELP! 死にそうな民主主義を助けるんだ」 とかやってくれればいいのに。
今の政府はだらしない。次の参議院選挙では、全員白票を投じましょう。とか、「嘘つきはいらない」 とか書きましょう (選挙の帰りに外食しましょうとか・・・) とか言えばいいのに。「市民革命のススメ」 とかいって、武力による革命ではなく、「ウソツキイラネ」 とか 「該当者なし」 と選挙で意思表示することによって、政府そのものに不信任を突きつけよう。とかやればいいのに。
娘。ヲタのオレがネタっぽく言ってさえもごまかせない冷笑は、道化だな。という冷笑に他ならない。(えっと、一応書き加えておくと、娘。のミュージカルがじゃなくて、今の世論がです。)


ちなみに、話題の自己責任論に関して言えば、自己責任は確かに存在していて、外務省が退避勧告を出すようなところへ自分の自由意志で赴く人間には、そのリスクを正しく認識し行動する責任があります。これは否定できないところです。
しかし今回、このような自己責任論が噴出している背景は、彼らの親族が、そういったリスクへの不理解を棚に上げて、不用意に政府批判を行ったことで国民の反発を招き、頭のいい奴が、親族への批判を、「自己責任」 という言葉を使って3人への批判にすり替えたモノだと思います。
この点をしっかりと押さえていれば、親族への批判と、3人への批判が別物であることは理解できると思います。
ちなみに、この自己責任という言葉、本来は法律用語だそうです。
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/volunteer.htm

NGOについてはこちらが参考になる。
http://d.hatena.ne.jp/eirene/20040421

結論として、
1. オレは朝日が大嫌い
2. 3人の家族もあんまり好きじゃない
3. 実を言うとあの3人も好きじゃない
4. だけど、嫌いだからと言って罵倒する気にもなれない
5. 自作自演だ自己責任だとか、自衛隊派遣の是非だといういう議論はひとまずおいておく (なぜなら自分一人じゃどうにも出来ないでしょ)
6. しかし、拉致事件の真相は必ず伝えて欲しいと思う
7. なぜなら、NGOとかボランティア運動を行う際の、リスクマネージメントの問題として扱えばいいから。
NGOもボランティアもその気なら一人からでもはじめられるしね