高橋愛のモラトリアム


まぁ、色々と思うところもありまして高橋愛界隈の話とは距離感をとりたいなぁ・・・。と思っているたんばぱですが、そういう論争に参加した身としては・・・というか、より主体的に話題に参加していた私としては、スルーできない方向性へ話が進んでいるわけで、書きたくてしようがない・・・という心理的ストレスを生じるわけです。

ははははは・・・。
昨日告知したことは書きますけどね、心理的ストレス解消も図りたいかなぁ・・・と。


要点を整理すると、まず、ヤン土における 「宝塚へ入る気満々」 の高橋愛を容認するか否か。という二者択一が分水嶺になっていると思います。

つまり、容認出来るなら心の比重は 高橋ヲタ > モーヲタ で、容認できないならば逆です。これは別に白か黒かじゃなくても良くて良いですが、ここから来る立場の違いは結構重要ですので。
私は容認しない側の人間で モーヲタ > 高橋ヲタ です。

まず、例の 「宝塚へ入る気満々」 発言ですが、
http://hotmilk.jp/archives/000388.html
に書き起こしがありますのでどうぞ。

tettekeさんの発言
http://d.hatena.ne.jp/tetteke/20040528
私は、高橋愛さんは宝塚歌劇団の一ファンなのだと思っていました。
たしかに小学・中学1年のまだ芸能界に入る以前の高橋さんの夢のひとつであったとは思いますが 彼女がモーニング娘。に入ったときから、または娘。として活動していくなかで 高橋さんのなかで整理されたものと信じていました。
その上で好きなものは好きなものでいいじゃん、娘。>宝塚なら。と思っていました。
私もそう思ってました。全く持って同感です。
しかし、どうもそうではない高橋愛に感じるのは 「モラトリアム」 という要素です。
http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/koneko/3hattatu2.html

モラトリアムは悪いことなのですが、飯田さんチャーミーさん卒業という現実に直面したときに、"次期エース" と目される高橋愛にモラトリアムをきめられるのは、モーニング娘。全体にとって良くないだろ。とモーヲタは思うわけです。高橋愛が第2の福田明日香になられても困るわけです。*1
つまり、団体行動で何かをするとき、コトの細部まで決まり、さぁ実行だ。というときに 「私やらない」 っていうのはどうよ。というわけで、モーヲタと高橋ヲタの意見の相違はまづ、高橋愛のそうしたモラトリアムを許容できるかできないかの問題において先鋭化していると思います (つまり宝塚 or 娘。)。
なので本来、高橋ヲタではあるか、それともモーヲタであるかは無問題で、何人からの非難を受ける言われはないのですが、高橋愛が "次期エース" であると言うことで、高橋に対する期待・風当たりも急に強くなった部分があります。

tettekeさんのテキストで見かけたMWAVEさんのご意見。
http://d.hatena.ne.jp/MWAVE/20040530#p2
てか、高橋愛さんとモー娘。とどっちが大事だっていわれたら、そりゃ高橋さんです。これは高橋さんだけではなく、どのメンバーも、“モー娘。”それ自体よりは価値があると思っています。そんな、在籍していたら活動が制限され、その上いつ卒業するのか分からないようなグループよりは、個々のメンバーの方が大事に決まっていると、僕は考えるのですが。僕はモーヲタじゃなくてアイドルマニアなので、モー娘。自体についてこんな風に語るのは気が引けますが。それに、ぼくもカントリー娘。が例えば解散とかしたら、ある程度喜びはするでしょうけど、やっぱり悲しくは思うと思いますし。
MWAVEさんのご意見は私も理解できます。共感はできませんが。
モーヲタは 「モーニング娘。の枠組みそのものを愛している」 ので、娘。という集団感に相違があるのは理解できるのです。メンバーを第一義とするか、枠組みを第一義とするかの違いです。
しかし、こうして立場が違うことが明確であれば、モーヲタの立場としては、
「そうなんだぁ。でもさぁ、中澤姐さんが卒業するとき、後輩達は "裕ちゃんがいなくなってから娘。はダメになった" といわれないようにああして、こうして頑張ったんだよ。
で、裕ちゃんを見送ったメンバーが卒業するとき、彼女らは後輩に・・・」
というような、"想いのリレー" 的な楽しみ方って良くない?と聞くわけです。
これに対してどういう答えをなされるか分かりませんが、少なくとも、お互いの立場がはっきりしていれば、お互いの立場確認も進むわけです。
一緒に楽しめる部分は一緒に楽しめばいいし、楽しめない部分は好みの違いだから仕方ないねぇ。って。
もちろん、「こういう楽しみ方ってどう?」 っていうお誘いぐらいはしますけど、それに対するリアクションは尊重します。

しかし、非常に言いにくいんだけど はっちまんさん のリアクションは困ってしまった。
http://d.hatena.ne.jp/hatchman/20040527
高橋を推しているという部分には共通点があって、その部分では良く理解できるのですが、モーヲタである部分と高橋ヲタであるコトの差異が先鋭化して、私の側では、「多分、オレの言ってること伝わってないなぁ」 と感じたわけです。
高橋愛個人への肯定感は伝わってくるのですが、モーニング娘。高橋愛をどう理由で肯定しているのか分からなかった。

で、翌日のレスで
http://d.hatena.ne.jp/hatchman/20040528
どうやら僕はモーヲタではないという結論に至ると思われる。
という一言を見つけたとき、「私は、やっぱりなぁ」 と思ったのですが、前日のレスに
個人的にこの表現が悲しいのは、高橋愛への愛情を感じる一方で他馬(笑)への愛情を感じないことですかね。
という言葉を見つけていて、「いやいや、モーヲタとして、娘。のメインフレームを担った飯田さんやチャーミーさん。誰よりもモーヲタな新垣さんなどなど、オレはモーヲタとしてメンバー全員に愛情を持っていて、場合によっては、高橋以上だよ」 と感じ、かなりエキサイトしたので、ちょっと不幸なコトになったかも知れませんねぇ。

ただ私が 「ハルウララ高橋愛」 というテキスト内において、ことさら "連敗" という言葉をキーワードとして使ったコトに、はっちまんさんとかモーヲタではない高橋ヲタは
http://d.hatena.ne.jp/kaizan2003/20040602#1086153079
みたいなものを連想して、気分を害してしまったのかも知れません。配慮が足りませんでした。すいません。


ただ、冒頭で引用したように、問題の第一段階 「宝塚へ入る気満々」 の高橋愛を容認するか否か。という問題点が、(いささか私はエキサイトしましたが) モーヲタ視線と高橋ヲタの差異において先鋭化したことに、第3者であるtettekeさんから 「非常に興味深い」 と評価して頂けたことが、私は嬉しかったですね。はっちまんさんも嬉しかったと思いますよ。


----ここまでが、今までのやりとりを自分なりに総括した結果です。
というわけで、問題を先に、つまり第2段階に進められるかと思います。
第2段階の問題点は、tettekeさんのテキストから引用させていただくと、
http://d.hatena.ne.jp/tetteke/20040528
だからと言って、今の時点で高橋愛を否定することも出来ません。
その葛藤の中からこぼれ落ちた感情をこうして文章にしているのですけどね。
(中略)
それは今でも高橋愛の力量に比して荷が重過ぎると思える娘。というものをいよいよ逃げ場無く背負わされるから。
正直、残される娘。とそのエースという役割を担うことになる不安の方が大きいです。
このご意見はものすごくビンゴです。
自分の目指すべき道が宝塚なのかモーニング娘。なのか、そのどちらにあるか分からないモラトリアム状態だと、自分が背負わされている役割、責任の大きさも、高橋愛は正しく理解できないのではないかと思います。
力量以前に、モーニング娘。という集団が重ねてきた歴史は異常に大きいよなぁ・・・と感じています。
"次期エース" 候補だからという理由だけで、高橋一人に問題を求めるものなんかなぁ・・・というのもあります。
具体的な問題点は3点。

1. モーニング娘。として、高橋愛に課せられる責任、役割とは一体何なのか。
2. 高橋愛はそれを自覚しているか
3. 高橋愛は結果を出せるか

だと思います。如何でしょうか?


私の意見を言うと、まず第1点目。

第一義的には売り上げを伸ばすことに貢献することです。最も一般的な、わかりやすい結果です。
第二義的には、モーニング娘。を牽引するメンバーになることです。いわゆるエース。
高橋ヲタは、エースである証明を単に "活躍する" と捕らえるかも知れません。
しかしモーヲタは、モーニング娘。としての枠組み (先輩から託された想いの数々) を受け止めた上で、活躍する。という差異があります。


第三義的には非常に個人的(モーヲタ的)。
高橋愛のいるモーニング娘。っていいよね。と思えること。または、他者がそういうことを言ってくれること。
辻希美みたいな存在とか、石川梨華保田圭とか、娘。という集団全体を結合される触媒として大活躍することですね。
第2点目の問題

自覚できていないと思います。
もっとも、単純な意味で "頑張る" という言葉はでてくると思います。
矢口真里のエッセイ 「おいら」 の中には、矢口真里がラブマ前夜に感じていた、「抱いてHOM」 以降の売り上げ減少、このままなら娘。は終わってしまう。という危機感が描写されています。(52ページ 「2回目のデビュー」 より)。なお、中澤裕子のエッセイ 「ずっと後ろから見ていた」 にも同様の記述あり。
そして矢口真里は同エッセイ63ページ 「モーニング娘。は永遠に不滅です」 の中でこのように語る。
「5期、6期生っていうのは、ドーンと落ちたときの怖さを知らないと思うのね。下からはい上がって行くのがどんなに大変なことか分かっていないと思う。けど、それはうちらがいくらいってもわからないこと。自分たちで気づいてゆくもの」

んとねぇ、矢口真里が口にする 「頑張る」 と、高橋愛が口にする 「頑張る」 は、少なくとも今の時点では質が違いすぎると思います。
自分の将来をどうするか明確にできないモラトリアムを抱えたままでは、矢口真里の 「頑張る」 と同じ質のことは言えないと思います。

モーヲタが語る部分。
なっち卒業時、安倍なつみへ送ったメッセージとかは、高橋愛の基準ではOKなんです。これは否定できません。高橋は高橋なりに頑張っています。私もそれは十分に知っています。
でもね、モーニング娘。がおかれた立場を理解して、それに見合った頑張りかどうかはまた別問題で、矢口が感じているような背水の陣的危機感は抱けないでしょう。少なくともモラトリアムのままでは。

矢口が言う 「自分たちで気づくもの」 というというのは正しくて、経験していないコトを実感として理解するのは難しいですからね。
しかし、モーヲタはここで、モーニング娘。というグループが持っている歴史を理解して、先輩の想いを受け継ぐことに、経験していないことを擬似的に引き継ぐ心理作用を見出すわけです。
例えば4期メンは、ラブマ前夜を知らないけど、中澤さんを通じてそれを知り、中澤さんの想いに応えようとするコトで中澤さんの想いに応えたわけです。すごく簡単に言えば・・・。
蛇足だけど、チャーミーさんはもの凄い頑張りだよ。中澤さんだけじゃなくて、飯田さんのタンポポへの想い、圭ちゃんの想い。そういう想いを背負い続けて、常に応え続けたからね。
やっぱりねぇ、高橋愛の 「私も強くなります」 って、個人的な意味合いが強すぎると思いますよ。なっち卒業後の変化の幅を思うと・・・。

第3点目

非常に難しいと思います。
偶発的に、言い方悪いけど 「はまった!!」 という奇跡みたいなことが起こって結果を出す可能性は常にありますが、やっぱり、高橋愛の認識力に比して、モーニング娘。が持っている要素って大きすぎると思います。

だから例えばね、高橋がメインの座にいる娘。が、偶発的な大成功を収めたとき、高橋ヲタは、「やったね 愛ちゃん」 って感じると思います。
でもね、モーヲタの反応は違うと思いますよ。負け惜しみとかじゃなくて、偶然とするか、もしくは、同時にメインと張っているであろう藤本を賞賛する方向性を持つかも知れません。
何故かというと、藤本が、そのツッコミ適正において、1〜4期メンとゴロッキーズの精神的距離感を縮めたことを、モーヲタは、誰々押し以前に結構評価しているんですよ。そこには藤本が外様だからとか、そーいうことはなくて。
娘。を一体化させた藤本への評価を第一功とするんじゃないかなぁ・・・。


以上です。


モーヲタとしては、そうなんですよね。----------①
tettekeさんが 「藤の中からこぼれ落ちた感情」 というのは、私にとって凄く重い言葉で、モーヲタで高橋ヲタの自分には、(tettekeさんとは違うかも知れないけど・・・) もの凄く重いです。(でもきっと、同じだと思う、いやどうだろ?。tettekeさんの過去ログは随分読みました。同じこと感じてるなぁ・・・とは感じましたけど、やっぱ、リアルタイムで 「あ〜それわかる〜」 というのがない分だけ、慎重です。5月24日のテキストとかは全共感に近いです。特にいいらさん。)
一方、愛ヲタとは、なんだかんだ言っても違和感があって、首を傾げてしまうコト度々です。
はっちまんさんを引き合いに出すのは心苦しい部分もありますが、例えば集約的に 「たんばぱさんのような書き手というのは、非常に興味深いです。」 と言ってくださるのは、私個人としてはとても嬉しいです。
でも、「高橋愛を認識するベースの部分が違うだろうなぁ」 という思いを抱えたまま、自分がはっちまんさんの意見にレスするのは難しいと思ったのは事実です。やっぱり、視点が異なっているという大前提を、相互に理解し合ってからじゃないと難しい。
だって、私の考えていること、思っていることがきちんと伝わっているか自信ないし、それは双方に言い分があるまま、相互理解に結び付いていないと感じられるので。

基本的に、一般的なヲーヲタは、2ch狼で顕著な、アンチ高橋とは無縁ですから。
彼らは、現象がどうあれ、「何がかんでも高橋を叩く」 と言うことを目的としてそれを楽しんでいるフシがあります。
それに対する反作用と同じスタンスでモーヲタに接しられると、モーヲタは苦しいです。
で、(おそらく) 無意識とはいえ、高橋愛への肯定感の主観性は、2ch狼のアンチ高橋への反論と、モーヲタへの反論に同一性が感じられます。

しかし、モーヲタは (私もそうですが)、高橋愛モーニング娘。であることを許容し、彼女を批判する事はあっても、理不尽に否定したりしません。DD (だれでも大好き) に見られるほどすべてに肯定的でもありませんが、モーヲタは、モーニング娘。である高橋愛に敬意を払いつつ、高橋愛の不足点を指摘しています。
それは、唯一的な誰々推しを許容しつつも、モー娘。であった全てのメンバーに、さらには松浦やメロンも含め、極言すればハロプロ全体を視野に収めているのかも知れません。なにしろ、ハロプロは、娘。を原動力に作られましたから。
モーヲタが、○○推しという特定メン推しと差異を感じるのは、無条件肯定的な部分と、推しメンとの自己同一性を感じさせる部分に距離感を感じるだけかも知れません。
それ以外は、特定メン押しと、共有できる部分は共有し、違う部分は違うというだけで、誰それ推しをターゲットとして、否定行動は行わないと思います。
少なくとも、私と、私の知っているモーヲタはそうです。
だって、例えば、モーニング娘。高橋の活躍は娘。の活躍じゃないですか。なんで、モーヲタがそれを否定するの?利害関係はある程度一致しているんですよ。

それでもなお、俗に 「オラヲタが・・・」 っていうコトには、いろんな要素がありありますが、モーヲタ的には 「いい加減に宝塚云々ってのは・・・」 に集約されちゃいます。
新垣さんが前髪を降ろしたことについて、新垣さんヲタは、私が知る限り全てのサイトが取り上げました。それ以外に取り上げたのはモーヲタサイトです。
モーヲタは、単純に、モーニング娘、を愛する新垣里沙が愛おしいのだと思います。私もそうですから。
高橋愛サイトは?僕が知る限り、新垣さんを取り上げてるのは少ないです。まぁ逆に、新垣サイトが 「わたあめ」 を取り上げることもすくないですが・・・。

高橋愛を想う気持ちは、間違いなく、高橋愛サイトの方々は凄いです。
でも、モーニング娘。全体という方向性から、高橋愛個人を見る視線は、モーヲタの方がシビアで客観的ですよ。
だから、肯定 - 否定、正しい - 間違ってる、自分と同じ - 違う・・・・とかじゃなくて、視点の異なりを今以上に肯定的に把握できたならば、高橋愛ヲタにとって幸せな部分は沢山あると思います。
違いは違いでいいじゃん。一緒に楽しめる部分を楽しもうよ。みたいな。ね。

しかしやっぱり、2ch狼に代表される叩きって、尋常じゃないよね。
自分も、モーヲタへの入り口は、愛ヲタだから、その反発心は心情的に理解しているつもりです。はじめは2ch見てたけど、匿名性を隠れ蓑にした、無責任な叩きって腹立つから。今は、勝パラ系と、哀スレがレギュラーですね。哀スレは、なんだかんだ言っても、哀さんに愛を持っている人達で、微妙な距離感だけど、愛ちゃんに愛があるよね。

高橋ヲタからモーヲタへの変化を体験した身としては、モーヲタにとっても高橋ヲタにとっても不幸なことが沢山あります。なんかねぇ、もったいないかもしれない。

高橋ヲタも、漠然とした感触ではそのことには気づいていて、でも、ヲタ叩きと、モーヲタの批判の差異を明確化できていない部分はあると思います。
だから一つのバロメーターとして、五期メンの 「好きな先輩」 って指標だと思いますよ。
アンチは無制限に否定するけど、モーヲタはそこで歌われていることの全部、ただの歌詞じゃなくて、必ず現実になるって信じてますから。
だから、モーヲタと愛ヲタの悲劇的な非共感性って、ある意味絶望的だと感じています。

まぁ、①以降は全部主観なので、「いや、違うよ」 っていう感じ方の違いは当然あると思いますけどね。



最後に蛇足。

この手の話題の時、「中澤裕子卒業以前を知らないから」 という言葉を幾つかのサイトで見ました。
リアルタイムで知らないのはもはや仕方ないと思います。

私も中澤裕子以前は知らないので。
でも、その代わり、ありとあらゆる手段で過去を遡りました。
NHK-BSの中澤裕子卒業SPはもとより、過去のASAYAN、うたばん、その他TV出演番組のVTR。ファンサイトのログ。まぁ、とにかく自分の知らない過去を知ろうとしました。

私も、中澤裕子以前を知っているリアルタイム モーヲタには (リアルタイム性と知識で) 敵わないなぁ・・・と感じていますが、その頃の時代を擬似的に共有する事はできると思います。そういった (後追いの) 知識も、結構重要だよね。みたいな・・・。
さしあたり、明日香卒コン、中澤卒コンDVD、書籍 「5+3-1」、HNK-BS 中澤裕子卒業SPあたりは、過去を遡って知る上で、結構参考になると思います。
サイトでは梨華の時間とか。



いっとう最後に・・・

なんかねぇ、前日に変な告知した後だから、自分自身書いていて後味悪いです。
でも、それよりも、高橋愛ヲタとか、個人メン推しとかじゃなくて、娘。全体に (メインフレームって奴ですね) 波及するテーマだから、遠回しに、姐さんから、いいらさん、チャーミーさんを反芻し、私が思う、娘。のメインフレームを明らかにするより、今日、このテキストをUPする方が良いと思いました。
でも、いつか、書くと宣言したことは書き切りますけどね。

*1:娘。オリメン。娘。黎明期の楽曲において、つんく♂がプロデュースする際、安倍を全面に押し出すのと同時に、福田が持っている鬱な雰囲気をグループ全体に波及させることで、ただのアイドル集団とは異なるアーティステッィクな面を演出した。「サマナイ」 や 「抱いてHOM」
福田の突然の卒業は、そうした楽曲をプロデュースするつんく♂に多大な影響を与え、結果的に、純アイドル路線への転換を余儀なくさえれたといわる。