困ったなぁ・・・。


きびす22式 (スズモト さん) 「637稿」 より
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-PaloAlto/4426/

以下引用
大体、同程度の技術を有した人が同じルールで勝負をするとなって、お互いに絶対に勝ちたいという気概を持っていた場合、それはかなり高い確率で「どれだけ汚い事ができるか」の勝負になりがちです。しかし、そういう方法で勝利したとして一体何が残るのか。勝利にこだわる事で、何か大事な事を見失っている人が多いのではないか。




スズモトさんのテキストの主張意見は誠にごもっともで私もその通りだと思います。
では何が困ってしまったかと言うと "「どれだけ汚い事ができるか」の勝負になりがちです" という一節です。

実際そうなってしまったんですよね。たぶん。
スズモトさんが用いられた意図とは違うのかも知れませんが、例えばニュースなどを見ていれば公正さの欠片もない不祥事事が連日報じられ、漠然としたイメージの中で 「大人は汚いモノ」、「悪いヤツほど出世する」、「正直者が馬鹿を見る世の中」 みたいな雰囲気が醸成されています。
いつの時代、どこの国でも悪事は働かれていて、「良い人間は出世しない」 的な部分は少なからずあるのですが、仮にそうであったとしても、「正直者は馬鹿を見ない世の中」がタテマエであったとしても、まっとうな社会を目指さないといけないわけで、スズモトさんのテキストにも見られたような "「どれだけ汚い事ができるか」の勝負になりがちです" とことが一般化されたイメージの中で固着してしまった社会というものは、誠に困ってしまいます。

一応断っておきますと、スズモトさんに困っているわけでも、スズモトさんのテキストに困っているのではないですよ。スズモトさんのテキストは大変素晴らしいテキストです。

私が困っているのは、"「どれだけ汚い事ができるか」の勝負になりがちです" というイメージが、ごく自然に醸成されている社会です。

思うに、社会を支える大人達が背負う最大の責任というものは、「正直者や、まっとうに生きているものが不利益を被らない社会」 を築くことであり、次代を担う子供達にもそう教え、そう信じさせること。そして、人生というものはまっとうに、真っ直ぐに生きるだけの価値があるものだと教え伝えることでしょう。そして、実際そのとおりである社会を建設することでしょう。
しかしながら翻って今の社会を省みれば、モラルは低下し、社会規範は緩み、けじめのつかないだらしない社会に成り下がってしまった。

あとはスズモトさんのテキストを丁寧に読んでいただける良いと思います。スズモトさんのテキストがどれほど愛情に満ちたテキストで、どれだけ気持ちが暖かくなれるかは(個人差はあるにせよ)みなさま同じでしょう。

辻ちゃんに特化して、余計な一言を付け加えることが許されるならば、わたしはこのように言うでしょう。
だからね、だからこそ辻ちゃんを悲しませるような社会を作ってはいけないんだよ。辻ちゃんがいつも幸せに毎日を過ごせるような社会を頑張って作らないと。
社会の不公正や不正義を正し、善良な人や正直者が安心して、笑って生活できるような社会を建設しないといかんのですよ。
そういう社会を建設するために、自分は何が出来るかを常に考え、そして実行していかないといかんのですよ。
モーニング娘。はそこまで踏み込めないから、そういう部分は自分らが自主的に感じられるといいなぁ〜と。
少なくともモーヲタ、更に言えば辻ヲタに悪いヤツはいないでしょ。みたいなね。辻ちゃんを悲しませたりはしないでしょ。みたいなね。

まぁ、本来娘。の話題に関連付けて書くような内容ではないのですが、神奈川県警とか北海道警とか大阪府の残業手当の不正受給とか、そーいうコトを切り口にしても、それはつまらないでしょ。
とりあえず難しいことはおいておいて、「辻ちゃんを悲しませないため」というエッセンスを、ピュアな方向へ無限に拡大解釈してゆくことで戒めになれば、それで良いんじゃないかなぁ。