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「困窮者、はよ死ねってことか」 孤独死男性日記に残す (朝日新聞)
2007年07月31日03時03分


 辞退届によって生活保護を廃止されて孤独死した北九州市小倉北区の男性(当時52)が、辞退届提出後に「生活困窮者は、はよ死ねってことか」などと日記に書き残していたことが30日、分かった。これまで市が「男性が自発的に出した」としていた辞退届についても、「書かされ、印まで押させ」と強制をうかがわせる記述があった。


 日記の詳細は遺族の了解のもと、生活保護行政検証のための第三者委員会にコピーが公開され、稲垣忠委員長が会見で一部を読み上げた。男性が出したとされる辞退届のコピーも市が公開した。

 市によると辞退届の提出は今年4月2日で、10日付で保護を廃止。男性の遺体は、7月10日に死後約1カ月とみられる状態で発見された。


 日記は、B5判32ページのノートに8ページにわたり、2月からボールペンで書かれていたという。家族への思いや自殺願望ととれる記述が大半を占める一方で、廃止が決まった後に「せっかく頑張ろうと思った矢先切りやがった。生活困窮者は、はよ死ねってことか」と記していた。


 5月末からは「人間食ってなくてももう10日生きてます」などと記し、最後は、6月5日午前3時の日時を記したうえで「オニギリ食いたーい。25日米食ってない」と残していた。


 稲垣委員長は「できるだけ事実に迫って市民と問題意識を共有したい」と一部を公開した理由を説明。「言いようのない孤立感が漂っている」と話した。


 稲垣委員長によると、辞退届について小倉北福祉事務所の担当課長は「(男性の)真意。本人が自らの意思で自立しますと書いたので、結構なことだと(保護を)打ち切った」と説明した。だが、5月25日付の日記に「法律はかざりか。書かされ、印まで押させ、自立指どうしたんか」と書かれていたという。


 第三者委で、小村洋一・保健福祉局長は「自立は本人の気持ちではなかったと思う」と、福祉事務所の不適切な対応を認めたという。


http://www.asahi.com/national/update/0730/SEB200707300017.html


はじめに一言
美しい国美しい国」 って茶化してるのを見た気がするんだけど、それは不謹慎だろと。
人の生き死にに関してはきちんと配慮すべきで茶化してはいけない。もし私にその配慮が足りなければ、コメント欄で指摘して欲しい。


非難するのは・・・たぶん簡単。だから紋切り型の非難はしないようにしたい。
非難して、怒って、それですぐに解決しやしないから、憤りはとりあえず堪えたい。
# だからこの手のニュースは大嫌い。非難できる方が、怒りをむき出しにできる方が楽。


福祉事務所の人に限った話ではないんだけど、人の痛みや苦しみなんて言うもんは、たいていの場合その人にしか分からない。他人がそれを理解するのはとてつもなく難しいと思う。


でもね、分からないからと言って、そこでストップしたらもっとダメなんだろうと思う。分かろうとする努力だけはした方が良いのだろうと思う。もともと分からないものなのに、分かろうとする努力を怠れば、これはもう絶対にわかりっこない。


「数多くいる申請者すべての人の生活や心情に、いちいちそこまで深入りできない」 というのは正論だろう。加えて、深入りしたときの労力や葛藤に見合うだけの給料も、福祉事務所の人はもらってないだろうと思う。
でも、だからといって事務的に扱って良いというわけではないと思うし、予算だ効率だ、自立を促すとかで相談者を片づけて良いわけがない。


すべての人がとは言わないが、生活保障を受けることを恥と思う人も中にはいるんですよ。それば命綱の人は大勢いるだろうと思う。社会のセーフティーネットが、人を救うのではなく、人を絶望の深淵に突き落とすのであれば、福祉の存在意義はなんですか?と


おいら昔、貧乏してたんですよ。今で言う、ワーキングプアみたいな感じでした。健康だったから、北九州の方と違って働けた分、なんとか食っていけた。
その後仕事変わって生活に多少の余裕ができてポテトチップス買って食べたとき、「ああ、ポテトチップスを買える身分になったか」 って感じたんですよ。そんなもんです。内田樹先生みたいな人ならいざ知らず、普通の人が貧乏すれば、貧乏は精神的に追いつめられるものなんです。私の場合、ポテトチップス買えたぐらいで感慨深く思えるほど、精神的には追いつめられていたわけで。
# まぁ、こんな貧乏、比べモノにならないほどマシな貧乏で、比較にならないことは百も承知ですが・・・。


ただでさえ追いつめられて人をさらに追いつめてどーしたいんですか?


福祉事務所の人とか福祉に携わる人は、貧困者に限らす被対象の人の心情に対して、分かってやれとは言わないが、深入りしなくてもよいから 「心情を分かろうとする努力」 だけは忘れないで欲しいと思う。また、(相談等に訪れた) 目の前にいる人は、仕事 (処理すべき案件) ではなく同じ人間でなんだと言うことを忘れないでいて欲しい。で、欲を言えばちょこっとで良いからその境遇に関して、心で理解できなくてもいいから、せめて頭では理解して欲しいと思う。


制度や運用が変わらなくても、福祉に携わる人は、ほんの少しで良いから自分の気持ちや姿勢を変えてみて欲しい。
それなら今すぐできるし、それで助かる命もあるんだよ。(と、思いたい。っていうか、と、期待したい)


参考リンク
「北九州市餓死事件への取り組みのお願い」