福田首相の辞意表明


福田首相の辞意表明から一夜明けた。


公明党が独自色を深め、自民党から距離をおき、今までの協力関係の維持が困難になり、福田首相は窮地に追い込まれた。
と言うあたりが辞意表明の背景として一般的な見方のようだ。


で巷の反応としては、「無責任だ」 とかいう反応が一般的かつ共通項みたいなもんになっております。
まぁ、確かに無責任なんだろうけど他に選択肢があったわけでもなく・・・。
政権首座の座に居座り続けても非難され、辞めても非難され、因果な職でありますなぁ〜とか軽く同情(棒読み)
しかしまぁ、福田内閣の支持率は20%程度で、不支持率は60%強だったと記憶している。60%強の人は「無責任」と非難する前に、もっと素直に喜んでも良いと思うんだけどなぁ〜。おいらみたいに・・・。
不支持であった上に、今「無責任」とか言ってる人は、たぶん、福田首相が善政をしいても非難していたと思う。


で、「無責任」とか言っている人の「無責任」がちょっと気に入らないので書き残すとすると、
福田首相のまま国会が開かれても、事態は悪化することがあっても好転する可能性は低く、レイムダックに陥っていたと思います。っていうか、すでにレイムダックだったと思う。
お隣 韓国の前大統領はその任期の大半をレイムダック状態で過ごして、その間の政治的停滞が今日の韓国の停滞に結びついている感があります。
任期をレイムダック状態のまま全うして長期間政治的停滞を招くよりは、任期を放り出してくれる「無責任」のほうが、まぁ、いくらかマシなのではないかという考えもあります。
レイムダックのまま権力の座に居座られるのは、本人にとってはもちろん国民にとっても大きな不幸で、辞任による一時的な政治的混乱は、レイムダックと化した政権がもたらす長期間な政治的混乱に比べれば小さいのだろうなぁ・・・。と


要するに事態が好転する見込みもないのに政権に居座る「無責任」よりは、辞任する責任ある「無責任」のほうが良い。前者に比べれば遙かに責任ある態度だと思う。
多くの国民は、職責を全うする事を「責任ある態度」として望んでいたのかもしれないが、レイムダックと化した福田内閣に職責を全うする能力はなく、この状況下においては、選択しうる選択肢も少なく、辞任という選択肢こそが最良の選択ではなかったであろうか。



そこらへんの考えと、元々福田内閣不支持の私としては、辞意表明を暖かく、歓喜をもって極めて好意的に受け取っておりますので、「無責任」と非難を浴びせるなんてとんでもない。
いやぁ、めでたい、めでたい。



みなさんももっと素直に喜べば良いのに・・・。


とわいえ、目下の政治状況を考えると、政権の維持しか頭にない政党と、政権の奪取にしか興味のない政党が覇を争うという・・・、最も救いがたい政治状況であることには変わりない。
こんな政治状況を許している国民こそが最も「無責任」だと思うのだが、それは自業自得と言うものなのだろうし、この期に及んで「政権の奪取にしか興味のない政党」に期待を寄せるってのは、思考停止した自殺行為に等しいと考えている。
国民が望んでいる状態なんて、誰も与えちゃくれないのに

倖田界隈ヲチ所感3 「へそ曲がりのまとめ」


エイベックスは、自社のドル箱タレントの騒動を収拾するにおいて、先の沢尻エリカの顛末から一体何を学んでいたのだろうか?


謝罪インタビューには違和感がある。それは上に述べたとおり。
で、述べなかった点と言えば・・・


界隈を見てると謝罪インタビューの動画が結構残っている。著作権云々が問題になっている昨今、フジテレビ側としてもエイベックス側としても、TVで放送されたコンテンツがネット上で公開されているコトは好ましくない。それが彼らのスタンスだ。
さらに言えば、放送すれば、その動画がネット上にUPされることは十分に予見できた事柄だ。
謝罪インタビューの放送時間は夕方。社会人がリアルタイムで視聴するには難しい時間帯だ。


誰のための謝罪インタビューだったのか。


ファンのための、ファンに向けたインタビューだったと思う。
ぶっちゃけ、失言に傷ついた人のことなど、知ったこっちゃないのかもしれない。


エイベックスは、自社のドル箱タレントの騒動を収拾するにおいて、先の沢尻エリカの顛末から一体何を学んでいたのだろうか?
沢尻エリカは女優だった。倖田來未はアイドルであった。
沢尻エリカを干すのに比べれば、倖田來未を干すのは難しい。小売店には彼女のCDだのが置いてあれば売り上げは計上される。小売店からCDなどの商品を引き揚げなければそれでいい。倖田來未を干すのは沢尻エリカほど容易ではないのだから、CD等の商品を小売店から撤収しない限り、プロモーションの自粛程度ならば本業へのダメージコントロールができる。


アンチは元より、非ファンは謝罪インタビューのターゲットとしてそもそも対象外だし、失言の被害者もこの際二の次。
ただ、商品を買ってくれる、元々のファン(の購買意欲)をつなぎ止めるための謝罪インタビューだったならば意味がある。ファンをつなぎ止めるために。
うがった見方をすれば、応援の意思表示としての購買さえ期待できるかも知れない。
何しろ、本人が表に出ず、公式サイトも更新を停止して、プロモーションを行わなければ、ファンが応援の意思表示をする方法は商品の購入に限定できるのだから、これもプロモーションと言えないこともない。


放送は夕方。しかしファンならば録画するなりして間違いなくインタビューを見るだろうから時間帯は問題にならない。
ネットにアップされた動画も、動画のアップが予見されるとはいえ、削除を強く働きかけなければ残る。そして、あらかじめ削除を強く要請することもできたはず。録画もできるしネットにも動画がある状況ならば、ファンは必ず謝罪インタビューを見る。
そのインタビューで、今までとは違う服装で、いつもとは違う殊勝な態度で、涙を見せれば、ファンを繋ぎ止めるには十分な演出になるだろう。ファン心理を刺激する仕掛けは十分すぎるほどだ。

ここまでセットアップされればさらに応援したくなるのもファン心理だろう。
この騒動で彼女のファンは出口を見いだせないでいるだろう。彼女がインタビューで謝罪することは、ファンに対して一定の出口を作ってあげることになる。「もう謝ったんだから許してあげよう」 とか 「今回の経験を生かしてこれから頑張ってね」 とか。一番の効果は 「謝罪したのだから、それで許してあげられない人は云々」 と自己正当化の口実を提供できること。(← 相当に意地の悪い見方)

彼女のファンのための謝罪インタビューだったと考えると、結構腑に落ちる。


どうせどうやっても非難批判をかわせないのならば、むしろ開き直って、ファンを繋ぎ止めるための機会として生かし切り、知恵を絞って丹念に演出を凝らしたとすれば、なかなかに商売上手なエイベックス。
沈静化するつもりならば、「私は無知でした。しかしこの機会に勉強して色々勉強しました。赤ちゃん特有の病気などもあるんですね。初めて知りました。新生児医療の研究ためにアルバムの売り上げの○%を××に寄付したいと思います」 とか言及したら、どうなっていただろうか・・・。


一応の断りを入れると、あくまでも私の個人的な憶測、推測の類であり、何者も非難する意図は持ち合わせておりません。
私が理詰めで考えたとき、こーいう事情ならば納得できる。と言うことを書き連ねただけでありますので、エントリの内容については読者の方々にも許容していただきたく、お願いいたします

倖田界隈ヲチ所感2 「謝罪インタビューについて」

内容については個人的な感想の域を出ないのであんまり触れるつもりはない。
現在は消えているサンスポの調査では、謝罪インタビューについて8割が 「不十分」 と回答したそうだ。不十分という回答の中では、「反省しているのなら泣いてはいけないと思う」という意見が多かったという。


エイベックスとしてはドル箱のタレントの問題だから、なんとか沈静化を図りたい上での処置には違いないがいくつか失策があったように思う。


フジテレビ 1社1番組での放映だったことは失策ではないか。
エイベックス側の意図としては、どんな質問が飛び出すかわからない記者会見よりも、ある程度コントロールが効く、収録、1社からのインタビューという形は理想的かも知れないが、そーいう舞台設定そのものが 「誠意に欠ける」 との印象を与えるのは仕方ないかも知れない。今後の推移によっては、エイベックスの読みは甘かった・・・ということにもなりかねないかもしれない。


次に、アンケートの回答でもあったように、「泣いちゃった」 というのは相当まずかったと思う。
これを失策というのは酷なのだが、泣いてはいけなかった。

沢尻エリカの謝罪の印象が未だ強いのだろうし、(個人的な印象なんだけど) 涙ながらの謝罪は誠意の表れと受け止められる訳ではない。だいたい涙はきょうび訴求力がない。涙ながらの謝罪が与える印象は世代によっても異なるかも知れないが、「泣いたら許されると思っているのか?」 という反感を生み出しかねない危ういものだし、実際そうなった。(ここら辺は日頃の行いがモノを言う)
ただ、泣くってのは生理現象だからどーにもならん。それを 「演出に違いない」 と疑ってかかるのは問題だけど、そのように受け止められてしまう可能性をエイベックス側は考慮すべきで、「泣くな」 と釘を刺すか、涙は編集するという選択は、間違いなく重要なファクターだったと思う。重ねて言うけど、だって録画なんだもん。
このインタビューに関するエイベックス側の担当者は、どうもそこら辺のセンスが悪いと言わざる終えない。
自己満足の通過儀礼じゃないんだから、謝罪インタビューを観た人がどう考えるかを計算した上でこー言うことはしなきゃいけない。誰にも気づかれない、見抜かれないでやるのが、プロの技だろう。エイベックスのやったことは素人くさい。


様々な事情があったのだろうが、ショービジネスを生業としているわりには、ここら辺のセンスの悪さはエイベックスにはよく見られる。同じようなコトは過去にもあっただろうに、その経験が生かされているのだろうか。所属タレントのトラブル事は時折起こるものだし、それを完全に防ぐことは難しい。だからこそ、所属タレントを守るためにもトラブルシューティングのスキルは重要だと思うが、そのスキルの稚拙さは、邪推すれば 「タレントも使い捨てか」 と思えないこともなく、そう思うと、倖田來未も哀れだなぁ〜と思う。それとも、安全地帯からの謝罪インタビューは、彼女自身の意向によるものだったのだろうか。


エイベックスは、自社のドル箱タレントの騒動を収拾するにおいて、先の沢尻エリカの顛末から一体何を学んでいたのだろうか?

次のエントリーにつづく

倖田界隈ヲチ所感1


まぁ、性懲りもなく。
論理が飛躍しすぎない程度にまとめると、今回の件でBlog界隈を眺めてると 「悪意はないのだから云々」 という表現での擁護発言が見受けられる。


実社会では悪意の有無なんて考慮されない。問題は失言そのものであり、ミスそのものが責められる対象となる。だから、悪意の有無なんて言い訳にならないし、問題にしない。結果責任なんです。
だから 「悪意はないのだから云々」 というのは感情論としては理解できるけど擁護する論拠としては弱いし、実社会はそんなに甘くないんだよと。で、現在の騒動の是非はともかく、倖田來未の仕事場は実社会であって、やっぱり、悪意の有無なんて問題とはされない結果責任の世界なんだよと、まぁ、そんな風に思う。


「悪意はないのだから云々」 と主張されている方々を責める気は全くない。そーいう優しさは失わないで欲しいとさえ思う。でも、それは理由にならないことも知って欲しいと思う。

倖田來未の「羊水発言」の騒動とか謝罪とかについて(だいぶ書き直した)


倖田來未の「羊水発言」の騒動についてちょこっと。
口は災いの元と言いまして、ただの一個人であっても何かと注意が必要。公の場で不特定多数の人に対して話す機会のある公人(有名人)ならばなおさら。そーいう不注意・軽率さは、例えば今回の場合、歌手だから許されるとか許容されるとかいうものではなく、大人の常識として一定の配慮をしなければならないものだと思う。だから、彼女が一定の批判・お叱りを受けるのは自然だと思う。
ただ、「これから気を付けてね」 で済むレベルじゃないのかと、子を産めぬ男のおいらはそう思うけど。
# まぁ、有名な人だから影響力も云々。っていうのは横に置いておくとして

以上!!


でしかないと思うんですが・・・、アンチ倖田來未の中の人が 「イヤ許さん」 というのはお約束としても、なんか妙な薄気味悪さがある。

一つは、この「羊水発言」に関して、謝罪を求めるほど本気で怒っている「当事者」が全く見えてこない。ということ。
一部では、「ネットがこの問題を広めたんだ」と誇らしげに書いているブロガーも散見 (あくまでも散見) したけど、「いや、お前当事者じゃないし、なんか違うだろ」 とか。
界隈を丹念にリサーチしたわけではありませんので偉そうには言えませんが、私はこの発言に本気で怒っている当事者の方の、実際の怒りは目にしていません。
「発言自体は事実だけど、その後の展開は当事者不在で進んでないかい?」
という薄気味悪さを感じます。
当然、謝罪会見だって厳密に言えば、誰のための謝罪会見なんだかわからない (羊水発言に腹を立てている、推定される実際の当事者。に向けた謝罪会見なんだろうけど・・・)。当事者が見えないだけに、彼女の謝罪を受け入れる主体はマスコミなのか騒いでいるブロガーなのかと錯覚してしまいそうな奇妙さを感じられる。
マスコミやブロガーは、実際の被害者の代理人ですかと・・・?

次は当然、「じゃぁ誰が許すのよ?」 と言うと・・・つまり、ほぼ同じ意味合いとして、この話題がいつまでオンタイムかというと、本来それを決めるのは実際の被害者のはずなんだけど、当事者ではなく第三者 (マスコミとかブロガーとか) なのでしょうか?と変な違和感が・・・。
またまた、第三者は、本当に、実際の被害者の代理人なのか?と。

話題が先行する前に、私はまず、ホントに「倖田許さん!!」 と言っている、当事者の存在を知りたい。
# アンチが怒っているのはお約束。

というわけで私個人の印象としては、彼女の発言に怒っている実際の当事者の存在が希薄なので、実に薄気味悪い出来事としか映らないのでありました。「ネットがこの話題を広めた!!」 とか書いている人の、その正義感(?)の方向性には強い疑問を持つし、本当にそう思っているならば、「それは勘違いだよ」と私は言いたい。






以下だらだらと・・・(読まなくてもいいよ)
当事者不在云々で違和感が強いんだけれど、例えば政治家の舌禍事件ならば、私は日本国民として当事者であるし、公務員の不正とかなら納税者として当事者。企業の不正ならば消費者として当事者だったりするんだけど、今回の場合、私は当事者ではないわけで。
でも、まぁ、もの凄く広義に捉えて、社会人としてとか、公序良俗の観点からとか、強引に当事者になれないわけでもないのかも知れない。そして結語に 「大人としての自覚が云々」 とか 「歌手とはいえ、公人として発言にはもっと注意した方はいい」 とか書くと当たり障りのない程度にそれっぽいけど、それは、そこまで無理して書くような事でもないだろとか。みんな書いてるし。当然みんなそー言う意見は読んでるだろうし。
ただ実際に怒っている当事者の存在を視野に収めながらこの事を書いてる人もあんまりいなくて、話題だけが拡大していることに妙な薄気味悪さがあります。それは、「謝罪を求める風潮」 云々とか、「いじめみたい」 云々というありがちな意見さえも、「当事者不在のまま話題だけが先行している」 と感じさせる薄気味悪さです。個人的には。で、そこら辺の薄気味悪さを 「ネット世界の云々」で片づけてしまうのは安直過ぎる気もするし、というわけで、ただの薄気味悪さということで・・・。

彼女の発言は不適切だと思うし、一定の批判は必要だと思う。でも、その不適切さに対するリアクションとして、現在の状況は適切なんだろうか?
勝谷氏がいう「謝ればいい」とか「いじめみたい云々」 という意見にも違和感があるし、まぁ、安直に言うと、この話題に関しては過剰に様々なことが平行して行われているような・・・
一言で言えば騒ぎすぎの類か。だからといって、発言がチャラになるわけでもないが、騒ぐことで得をする人の役にしかたってないような・・・というと、「これを機会に高齢出産に関する正しい知識を仕入れることができた」と言う人もいて微妙


そもそも、誰のための騒ぎなんだよ!!


というと、答えはお約束でオチが付く

墜ちろ・・・とか

四十数名からなる民主党の訪中団が出発する。
国会の会期延長がここまでなるとは思わなかったのかもしれないが、国会を休んでまで、そこまで大人数で行く必要が一体どこにあるだろうか。彼らは、一体誰の代表で、誰に仕え、誰に奉仕すべきものなのか、彼ら自身はそれを知っているのだろうか。
いっそのこと、北京詣での飛行機が墜ちてくれればと思わずにはいられない。


民主党のおっしゃる「民」とは、一体どこにお住まいの「民」ですかと。
民主党なんぞに投票した人もした人だが、一緒にいなくなっていただければと・・・
まぁ、最近は自民党もアレなんだけどね(^^;