あれだ

あれだ、つまり、「弱い犬ほどよく吠える」って言いますよね。小沢一郎ってのはそのともがらだと思う。恫喝まがいの会見とかも見ていればそうだけど、ああいうコトするのは大概ホントは弱い人間ばかり。
会社とかで社会人経験あればよく思い出してみると言い。仕事のできる人は大概怒鳴り散らしたりしない。理知的に論理的に、何が悪かったのか、どうすれば良かったのかを諭す。ミスを犯しても、強弁でそれを封じたりはしない。謙虚に受け止める度量を持っている。だからこそ信頼を集め、人が集まり、それが力となってさらに仕事ができるようになる。


小沢チルドレンだかなんだか知らないが、数を頼んで自分を大きく見せるのも弱いから。
考えてみて欲しい。ホントにできる人は数に頼ったりしない。自らの信念を地道に貫き、地道に仕事をこなす。数とか権威とか、自分の力ではないものの威を借りて、自分を大きく見せようなどいうことはしない。決してしない。


「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という慣用句があるが、身の回りにいるいわゆる「できる人」を思い浮かべて欲しい。
あなたが「できる人」と感じている人は、他人を恫喝したり、人を見下す傲慢な態度をとるだろうか?。数や権威を頼みに、虎の威を借るようなことをしているだろうか?
おそらく、そんな、小沢一郎のようなできる人はいないであろうと私は思うし、私は小沢のようなタイプのできる人を見たことがない。


そのような、つまり小沢のような「できない人」が「天の声」を発して、国政に影響力を行使する今の状況を危ういと感じたりはしないのだろうかと思う。
「弱い犬ほどよく吠える」と言うが、自らの実力に自信のない者ほど威を借り、数や金を頼み、自分を大きく見せ、他者を恫喝し強弁し、反対意見を封じ、情実人事を行い、組織を損なわせる。


私は小沢一郎が大嫌いだ。限りない嫌悪感を抱いている、それは彼がまだ自民党にいたときからそうだ。
私は小沢一郎が大嫌いだ。


と、そこらへんのバイアスを加減して読んでいただければok

やらかした

「憲法を読み直しなさい」天皇会見で小沢氏反論
というあたりのお話。


「やっちゃった」というのが第一感。
民主党を絶対に支持したくない層は一定数いるからそこら辺からの切り口はどーでもいい。「小沢or民主党云々」→「ネトウヨ云々」のお約束とも言えるすれ違いで良いんじゃないかと。


問題は
天皇陛下を政治利用してるんじゃないか
・ 傲慢で嫌悪感を感じる
という切り口からこの問題を語った場合。なんじゃないのかと


この二つは「小沢or民主党云々」→「ネトウヨ云々」のレッテル貼りから洩れてる部分なので、これらの切り口から問題提起してる人に「ネトウヨ云々」言ってると、結構痛いシーンが散見されて面白い。けどまぁいい。
天皇陛下を政治利用してるんじゃないか」というのは論理的に議論になる部分なので、思想や政治的な立場に関係ない。論理的な反論を試みようとしている相手に「憲法云々」と強弁してたら、小沢が議論を逃げてるように見えるんですけどね。実際逃げてるんでしょうけど。
憲法の定める国事行為は「外国の大使及び公使を接受すること」であって、外国の賓客を接遇するのは国事行為ではない。だから、これは元々国事行為の話じゃない。憲法読んでないのはどっちなんだろう。
でも反論している人の懸念は、今回の問題に限らず、「小沢は厳格に憲法を尊重する気がないのか」とか「独裁を指向してるのか」という部分にあるんだろうと思うし、その小沢が民主主義だのなんだのを偉そうに語るのは滑稽としか言いようがないだろうと思う。
まぁ、ここらへんは多少なりとも国事行為の定義が分かってないと楽しめない部分なのかも知れない。


もう一つの「傲慢で嫌悪感を感じる」という切り口だと、人に小馬鹿にされて嫌悪感を覚えない人はなかなかいないし、まして日本は文化的な土壌として謙虚さとか謙遜を美徳としている下地がある。にもかかわらす、公の場で、傲慢尊大に人を小馬鹿にしていることに生理的な嫌悪感を抱く人はいるんじゃないだろうか。
こーいう独裁的な振る舞いは、やっぱり独裁とか専制をイメージさせるから、ある種の怖さを感じてる人もいるだろうね。「友愛」とやらを前フリにしてた人もいたので、振り幅があってなかなか凝った演出をしてくれますよね。民主党さん。「独裁」と「友愛」が矛盾せずに調和する状態って、どーいう状態ですか?と。
ここら辺の感情的な嫌悪感には「国事行為云々」みたいな専門知識は必要なくてわかりやすいから、もの凄いイメージダウンだと思う。それは小沢ではなく党の。


二つの切り口から感じたことを書いてみたけど、この両方とも小沢には分が悪い。分が悪いので「やっちゃった」感が第一感になる。


まぁ、ツッコミ所は一杯あって面白いことこの上ないんだけど、さてさてどーなることやら。


補足
天皇陛下をそこら辺のお水と勘違いしてるんじゃない?」と感じて反論してる人はたぶんエセ○○。
そこら辺でネタを考えたけど、TPO考えるとブラック過ぎて止めた。
○○な人は、そんなネタを思いつくこと/表現することを決して許せないだろうと思う。

失礼千万なお話

今年の9月以降、こんなコトを書く日が来るかも知れないとは感じていたが、いざ書くとなると修辞が難しいのもです。


首相は「日本の盧武鉉」と米国 社民党に引きずられ同盟に亀裂(産経)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091204/plc0912041840012-n1.htm


全くもって失礼千万な話です。
よりにもよって鳩山ごときを盧武鉉前大統領と同一視するとは。


盧武鉉前大統領を故人として語らねばならないのは残念極まりないのですが、盧武鉉前大統領は、いかなる政治の場でもエンターテイメントを重んじた誠に素晴らしい人物でありました。盧武鉉前大統領の言動一つ一つは、計算され尽くしてるとしか思えない高度なギャグで満たされていました。在任期間中は日々の笑いに事欠くことなく、毎日毎日盧武鉉前大統領の言動をチェックしていたモノです。故人として語らねばならないのが残念で、残念でたまりません。
しかし、政治と言うものをお笑いに昇華させた功績は不滅のものとして語り継がれてゆくことでしょう。まことに希有な方でありました。史上屈指の人物と言っても過言ではないと思います。


それをよりにもよって、鳩山ごときが盧武鉉前大統領に比肩する人物などとは・・・。これほど故人を侮辱した言葉がほかにあるでしょうか?残念至極であります。
木を見て森を見ずとはまさにこのこと。合衆国との関係を悪化させたただ一点だけを針小棒大に捉えてかような物言いをするとは、盧武鉉前大統領の治績を過小評価して貶めようとする意図があるようにしか感じられられません。鳩山などという世間知らずの青二才の書生は、例え100万回生まれ変わっても盧武鉉前大統領の偉大な功績の0.01%ほどの功績も挙げられないでしょう。貧家に生まれ、苦学の上に苦学を重ね、辛酸をなめ尽くして身を立てた盧武鉉前大統領の1%ほども苦労したことが、あのぼんぼんにあったでしょうか。脳みそバラ色お花畑のぼんぼんが盧武鉉前大統領と並べられるとは、誠、世も末でございます。
・・・いや、これ以上口汚く鳩山ごときの真実を書き連ねるのはもうよそう。続ければ、まさにそのことこそ盧武鉉前大統領の輝かしい治績に汚物を投げつけることになりかねないだろう

(敬称略)

考えなしの雑感

一昔前、日本の政治家は3流だが、官僚は1流だとか言われていた時代があったそうで・・・。今がどーかは知りませんが、仮に省益ばかり考える小役人の集団と化していても、政治家はもっと劣化しているわけで・・・。

昨今の状況を見ていると、考えなしに官僚機構をただ破壊しているようにしか見えないんですけど。
で、それを喝采してるような人は、正直どーなんだろう。
マスコミに踊らされて、なんか良い気分になってるのかも知れませんが・・・。

歴史的に見ると、たいがいこんなもん

とりあえず具体例の一切を省いて考えている結論だけ書くと、いくら綺麗事や理想論を並べ立てたところで、その綺麗事なり理想論が原理主義的な色彩を帯びて硬直化し、「こうあるべき」と思いこんでいると、間違いなく、それは独裁的な色彩を帯びてくるもの。
原理主義的に何かを盲信している人は、自分とは違った思想・意見を持っている人を異端者と見なすが如く切り捨てますからね。だから本来、そーいう人たちに権力を与えてることは非常に危険なことなんですけどね。
そーいう原理主義的な人の綺麗事や理想論に騙される人の多いこと多いこと。

失政の後に、己の行動を自省せずに、いたずらに権力者を非難・非難する無責任劇場を見せつけられることがないようにと思ってます。

品性の欠如

すとう信彦 & his band 「ある軍事評論家の死」

思想や立場に関係なく、故人に敬意を表し、哀悼の意を捧げてこその「ご冥福をお祈りします」ではなかろうかと思う。「擬似専門家」などと書いておきながら、その論拠をあきらかにしないのであれば、これは誹謗中傷の意図があると勘ぐられても仕方なく、当然、誹謗中傷を含んだ弔意など、まずあり得ないものだと思います。

英雄は一度しか死なないが、卑怯者は何度でも死ぬ。という言葉を聞いたことがあります。
一つだけ、私が確信に満ちて予言できることは、人の死に際し、品性の欠片もない弔辞を述べられる人物の死は、決して惜しまれることはないということです。

私は、故人となられた江畑謙介さんについて多くを知りません。ゆえに、しったかでこのようなエントリーをする気はなかったのですが、上記の記事を目にすると、その、怒りが・・・。
江畑さんに関しましては、勤勉で向上心に富み、清廉で虚栄に関心を示されないお人柄であったと耳にしております。専門家としての能力ではなく、品性において立派な方だと存じ上げておりました。
ただただ、心よりご冥福をお祈りさせていただきます。

雑感

台風報道が多くなって注意するよう報道されている。報道しているのはマスコミなんだが、台風が来たときの風物詩として、台風リポーターは暴風雨真っ盛りの野外でリポートする。その危険性は言うまでもないのだが、より重要なのは、この風景のなかに、絵に頼って報道を行っているTVマスコミの根本的な姿勢が顕れていることだとおもう。絵というモノは文字に比べて情報量が多いことは言うまでもないが、情報量が多い故に、「理解もしていないのに、理解した気にさせてしまう力」も持っている。報道する側は、この力の有用性と危険を理解して、自制しながら報道を行うべきであろうに・・・。
野外で行う台風リポートは、たしかに絵として台風のインパクトを伝えるに効果的ではあるだろうが、リポートにさく時間と、困難な状況故にリポートがグダグダになっている状況を鑑みると、情報的な価値はどのくらいなモノだろうか。リポート時間に見合った情報量を提供しているのだろうか?


台風報道をみて、この雑感を読んで頂いた方々は、どのようにお感じになるでしょうか?


民主党政権についてはとりあえずスルーを決め込んでいる(or すくなくとも「いた」)。
まぁ、お手並み拝見ぐらいの軽い気持ちで。自公政権のとき、些細なことでも大騒ぎして批判していたマスコミみたいなコトを書いて自分の品位を落とすようなマネはしたくなかったから。
でも、そろそろ我慢の限界だろうか・・・。